(本記事は、2022年12月17日にnoteで公開した記事を再編集し再掲したものです)
2022/12/13、井上尚弥がポール・バトラーを制し、バンタム級でアジア人初の4団体制覇を成し遂げた。
脱帽という他ない。
単に4団体制覇したのみならず、それぞれの王者全員をKOしているのである。
今回のバトラー戦においては、ノーガードで顔面を晒したり、さらには両手を後ろに組んだりと、余裕綽々とも見える試合運びだった。
まさに「怪物」である。
ただ、井上尚弥の強さを「怪物だ、すごい」で終わらせてしまっては、後進につながらない。
一朝一夕に真似るのは無理でも、どこに着目すべきで、どういう方向性で練習をしたらこういう強さが身につくのか。
武術研究者を任ずる私としては、一端なりとも明らかにしておきたい。
井上尚弥の強さを明らかにするためには、井上尚弥自身の著作である「勝ちスイッチ」が最も示唆に富んでいる。
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2019年の1回目のノニト・ドネア戦直前の著作だが、「王者は何を考えて、何を考えないのか」の帯タイトル通り、井上尚弥の考え方・環境・練習スタイルなどが窺い知れ、非常に参考になる。
①前提:圧倒的な練習量、そしてその「中身」
当たり前ではあるが、その強さの秘密の第一が「圧倒的な練習量」にあることは疑いない。
これを指摘しておかないと勘違いがあるかもしれないので、念のため記しておく。
僕は天才ではない。
(中略)
僕には天才と呼ばれるほどのセンスがないことを、当時から自覚していた。
現在の僕の専属トレーナーでもある父は、「1万時間の法則」という原理をよく持ち出す。マルコム・グラッドウェル氏が著書『天才!成功する人々の法則』(勝間和代訳/講談社)で紹介した概念だ。天才になるには、それだけの努力が必要で1日8時間練習するとしても3年以上かかる。僕の感覚からすれば、1万時間で天才になれるのならば楽なもの。その1日8時間の中身がさらに問われ、限界までやったのか、考えながらやったのか、練習のための練習ではなく試合を意識してやったのか、が問題。質の高い練習を毎日、1万時間以上、積み重ね、結果が出た時に、やっと天才の「て」くらいに言われるようになるのかもしれない。
父は、メディアの取材で「天才ですね」と、ヨイショされると「尚が血のにじむような練習をしてきたことを知らないのに、簡単に天才などという言葉を使わないでくださいよ」と冗談半分、本気半分の勢いでたしなめるときがある。
まさにここに書かれている通りで、量、というか時間、中国武術的に言えば「功夫」を積むのは当然で、さらにその「中身」が問われる。
漫然と練習をしていても井上尚弥にはなれないし、さらにその「中身」の「方向性」を間違えても井上尚弥にはなれない。
逆に言えば、天才でなくても井上尚弥になれるのであれば、希望の持てる話ではないか^^
この記事ではその「中身」の「方向性」を少しでも明らかにしたい。
また以前ご紹介した『超一流になるのは才能か努力か?』では、同様のコンセプトを様々な実例で紹介しているので、こちらも一読をお勧めする。
『超一流になるのは才能か努力か?』(アンダース・エリクソン)
②試行錯誤が導く「身体の可能性」
多くの人が驚いたであろう、バトラー戦での「後ろ手」。
プロのリング、しかも世界タイトルマッチでこんなことをやる選手は前代未聞だ。
余裕なのか、挑発なのか、手を出してこないバトラーへの苛立ちなのか。
もちろんそうした側面はあるだろうし、井上尚弥本人も試合後そのように語っている。
しかし、いくら苛立ったからといっても、次の瞬間リングに大の字になってしまうような行動をそうそう取れるものではない。
事実、この「後ろ手」のあと、井上尚弥はこの体勢から閃光のような左フックを放っている。
「ここから打てる」という確信があるから、この体勢ができるのだ。
実はこの体勢は、韓氏意拳の形体訓練のひとつ「玉鳳飛翔」の一形態によく似ている。
韓氏意拳の形体訓練の目的のひとつは、身体の可動域の中の「最大有効範囲」を掴むことにある。
人間の関節の可動範囲のうち、「有効に使える範囲」はどこまでか。
形体訓練はこれを教えてくれる。
この「後ろ手」と同じ形が、形体訓練「玉鳳飛翔」の中にある。
つまり、この形は「有効な打撃が打てる体勢」なのである。
はたして井上尚弥は、韓氏意拳を研究したのか。
それとも、独自にここにたどりついたのか。
仮にこのバトラー戦で初めてこれにたどり着いたのだとしても、「これが有効な体勢だ」とこの瞬間に悟るためには、これ以前に相当な試行錯誤が必要なはずである。
これが、井上尚弥になるための「方向性」の一端を示している。
単なる反復練習ではない、自分の身体の可能性を探る様々な試行錯誤、自分と丁寧に向き合う作業が必要になるのである。
③「足で打つ」
井上尚弥も、最初からKOを量産していたわけではない。
経験を積み、試行錯誤を繰り返すうちに、重要な「気づき」を得る。
そのときより、まったく質の異なるパンチが打てるようになる。
実は、2013年8月の田口良一さんとの日本ライトフライ級タイトルマッチまでの4試合と、それ以降の僕では、パンチを打つ際の基本理念が大きく異なっている。5年もの年月をかけて、ジワジワと改造、進化を試みてきたのである。
(中略)
僕は「このままのスタイルでは倒すパンチは打てない」と自問した。
(中略)
そして、ごく最近(注:本書刊行は2019年ドネア戦直前)、つかみ始めたのが力任せにならず「足で打つ」という新感覚だ。
「足で打つ」感覚を覚えたのは、バンタム級に上げた初戦のジェイミー・マクドネル戦からだった。その試合から3試合、秒殺が続いている。早期KOと「足で打つ」感覚は、密接に結びついているのである。
ここだ。
ここが「モンスター」の核心である。
「足で打つ」。
これはどういうことか?
これは
「【足】とは何か」
というテーマと結びついている。
この点については、井上尚弥も「一言では語れない」と記しているが、言葉だけで説明するのが難しくなってくる。
ひとつ言うなれば、「現代人は驚くほど【足】が観えていない」ということだ。
このあたりは稽古を共にしていかないとなかなか伝わらない領域になってくるが、兵法武学研究会の光岡英稔先生は、こうしたことを伝えてくれる稽古を実施している。
ぜひ受講をお勧めしたい。
私も、武研門の「古武術パーソナルトレーニング」にて、「足」が観えるようになるための稽古を提供している。
ご興味がありましたら、ぜひこちらのページをご覧ください。
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