前回の記事↓
をお読みになった方は、こう考えるかもしれない。
「そんなら、MMAとかで試合をバリバリやればいいよね。古武術はいらないじゃん」
これに対する答えは、既に以下の記事↓
で示唆しているが、今回改めて「では、なぜ古武術を学ぶのか?」と問うてみよう。
最もよくない「正面衝突」
武術とは「相剋が起こった時、これをどう処理するか」という技術であると前回書いた。

では、これをどう処理するのがよいだろうか。
最もよくない方法が、上図の「正面衝突」だろう。
相手のベクトルに対し、真正面から激突する。
交通事故だ。
これは「単に力の強い者が勝つ」やり方だ。
これでいいなら、武術はいらない。
そして、こんな処理方法をとっていたら、たとえその時の相剋を突破できたとしても、こちらのダメージも甚大。
次の相剋が処理できなくなる。
その次。
その次。
人生の相剋は、一度で終わりではない。
「角度を変える」のはひとつの手だが…
相手のベクトルに対し、角度を変え、別角度から攻めるのはひとつの手である。

ただ、リスクはある。
角度を変えようとする意識は即座に察知されてしまうし、相手の中心力のほうが強ければ押し切られてしまう。
そも、「同じ層位」で相対しているうちは、結局「角度の違う交通事故」になりかねない。
正面衝突か側面衝突かの違いしかないのでは、まだ高手とは言えない。
(ただ、角度を変える技術は必要ではある。これも稽古しておく必要はある)

古武術が教えるのは「別層位の力」
そこで、次の段階が必要になってくる。

相手の力に対し、別の層位に入り、透過して入り込む。
相手からすると、まるでこちらが消えたような感覚を覚える。
視覚上は確かに眼前にいるのにだ。
これができるのが、古武術の大前提である。
これができた上で、さらなる層位や技法を追求しているのである。
この「別層位の力」を、中国武術では「勁」と呼ぶ。
「勁」を把握するのが中国武術の大前提である。
古流の武術であれば、表現は異なれども、これに類する「別層位の力」を教えているはずだ。
(そうでなければ生き残れないので、すぐに失伝する)
この「別層位の力」は、物理的身体とは違うところにある。
だから、年齢で衰えることはない。
物理的身体には限界があるが、この「別層位の力」には限界はない。
必ず「さらなる深層の力」があるからである。
これを悟り、さらなる深層へと探究を進めていくのが古武術の稽古だということだ。
「別層位の力」を学びたいとお考えの方。
ぜひ、武研門の「古武術パーソナルトレーニング」をお試しください。
こちらから、お気軽にご連絡ください!
この記事がお気に召したら、いいねを押してください👍