昨日はブラジリアン柔術の道場へ。
2日間にわたって古流剣術をじっくり練った翌日、ブラジリアン柔術で若い衆に押さえ込まれてさあ大変、なんて経験もなかなかオツだ☺️
今回は、剣術などでよく謳われる「遅速不二」について考察したい。
「遅いも速いも同じ」とは」?
「遅速不二」とは、文字通り「遅いも速いも同じ」ということだ。
ゆっくりやって、正しく動くことができれば、あとはそのまま速くすればよいだけ、となる。
ただ、この「正しく動く」というところが難しい。
外見上は、「正しい動き」も「間違った動き」もまったく同じということがよくある。
外見上同じならば、何が「正しい動き」で、何が「間違った動き」なのだろうか。
光岡英稔先生は「勁道」という言葉を編み出してこれを説明しているが、これ以上にふさわしい言葉は浅学の私には思いつきそうにないので、僭越ながら私も「勁道」という言葉を使わせていただければと思うが、この「勁道」を正しく通っている動きが正しい動きである。
「勁」が「別層位の力」であることは以前の記事で説明した。
この「別層位の力」を導き出す「道」が「勁道」である。
古武術では、まずゆっくり動くことで、この「勁道」を通す稽古を行なっている。
ゆっくり動いてきちんと勁道を通すことができれば、あとはまったく同じように勁道を通せば「神速」にもなる。
これが「遅速不二」ということである。
「勁道」はどこにあるか。
いわば、「勁道を探すこと」が稽古であるとも言える。
型とは、言ってみれば「勁道を教えている」とも言える。
ただ、型を見た目通りやっただけでは、特に現代人には勁道は見つけられないだろう。
勁道は、物理的身体とは別のところにある。
場合によっては、身体の外にあることもある。
そして勁道は、流派や型によって異なる。
同じ流派の型でも、Aという型の勁道をBという型で通そうとしたら、まったく逆効果ということもある。
正しい勁道を通ったかどうかは、稽古を積めば掴むことができるようになる。
正しい勁道を通ると「何も感じない」のだ。
何も感じないというか、何かをやったような気がしない。
にもかかわらず、動きが完成している。

検証しなければ、勁道はわからない
経験を積んでいけば一人稽古でも勁道を通ったかどうかがわかるようになるが、何しろ「何も感じない」ので、勁道を通ったかどうかは「検証」しないとわからないのが通常だ。
よって、稽古者は何らかの方法で「検証」を実践しなくてはならない。
そうでなくては、自分の技が使えるのかどうか、死ぬまでわからない恐れがある。
例えば、卜傳流剣術では、仕太刀(弟子)が打太刀(師匠)に向かって打ち掛かっていくことで「検証」を行なっている。
仕太刀が何か違うことをやっていれば、打太刀はすぐにわかる。
このやり方によって検証を行なっているわけだ。
大変優れた方法だと思う。
ただ、私としてはさらに進めて、「相手がガチで襲いかかってくる場」でなければ、検証としてまだ不十分だと感じていた。
そのため、私はブラジリアン柔術の道場に通うことにした。
この際打撃を全部捨ててでも「頻繁にガチを試せる場」を得ることが重要だと思ったわけだ。
とはいえ、ブラジリアン柔術にはブラジリアン柔術の「場」があり「勁道」がある。
それを一から学ぶことは当然必要になってくる。
しかしそれでも、「本気でこちらを倒そうとしてくる相手」が得られるのは実に貴重であるので、その努力を積む価値はある。
やはり、柔術の稽古をやり込んだ方は「柔術の勁道」を体得している。
あっ!と思った時には脱出不可能な状態になっていたりする。
私としては、柔術についてはまだまだ勁道を探さなくてはならないが、それでも「勁道というものがある」とわかっているだけでかなり違う。

古武術の課題:「忖度」と「遅速転換」
古武術を実際に使うためには、2つの課題がある。
ひとつは「忖度」。
これは多くの武術家が指摘していることだが、「忖度」は武術をダメにする元凶だ。
相手が「ガチ」だから、勁道を通ったかどうかわかるのだ。
ここで相手が忖度してしまったら、勁道を通ってないのに「技がかかった」と勘違いしてしまう。
そして勘違いが勘違いを呼び、まったく使えない技を「これぞ古流」と呼んで後生大事に抱えることになる。
「ガチ度」は、稽古内容や場、相手の練度によって調整する必要があるが、「ガチ度の調整」と「忖度」は異なる。
師は本来、「ガチ度」をうまく調節して弟子を導くだけの技量が必要なのだ。
もうひとつの課題が「遅速転換」だ。
ゆっくりやって「勁道」を見つけたとしても、いざという時、瞬時にその勁道を通せなければ意味がない。
ガチの相手に対して、瞬時に勁道を通せるか。
これもまた、ガチで襲ってくる相手に試さなければそうそうできない。
フッとよぎった勁道にうまく乗れなかったり、終わってから「ああ、あそこに勁道があった!」と気づいたり。
後の祭りである。
「真のガチ」で使えるようにするためには「遅速転換」、つまりゆっくりやって見つけた勁道を、ここぞの刹那に一瞬で通せるように稽古しなければならない。
「ガチ度」をうまく調整しつつ「検証の場」を提供し、「勁道」を見つけ、「遅速不二」を体得する。
武研門が理想としているのは、そのような稽古の場だ。
これは一朝一夕にはいかない。
しかし、理想めざして日々の稽古に励む所存である。
「遅速不二」に興味がありますか?
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入口は誰にでも開かれています。
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