(本記事は、2022年9月4日にnoteで公開した記事を再編集し再掲したものです)
“映像時代の産物”鏡面動作
私は他の方がやっている取り組みは基本否定しないのだが、これだけは本当にやめたほうがいい、という話を。
「鏡面動作」は本当にやめたほうがいい。
特に、太極拳の指導者に多い。
受講者に動きをわかりやすくするため、左右逆に套路をやってみせるのだ。
昔の指導者で、そんなことをやった指導者は誰もいないはずだ。
映像時代の産物と言える。
それは「サービスのしすぎ」だ。
そんなことをしなくても、何度か角度を変えて動きを見せれば十分だ。
鏡面動作をやってみせるということ自体が、最初にどちらの足を出すべきか、最後にどちらの足を収めるべきか、その本当の理由がわかってない、ということではないのか。
武術では「左右逆」は絶対NGだ。
剣術で、右に刀を差し、左手を上・右手を下に握る流派はない。
弓道で、左手で引くことは許されない。左手の弓懸などひとつも作られてない。
高校の弓道部時代、「僕は左利きなので左手で引いていいですか」と言った級友がいたが、当然NGだった。
武術における「左右」とは、右利き・左利き以前の問題なのだ。
特に、心意六合拳において「左右」は重要になる。
心意六合拳には「片側しかない技」が数々存在する。
これは心意六合拳のプリミティブ性を示すものであり、研究対象とすべき重要ポイントとなる。
心意六合拳で「左右逆をやる」のは、決してやってはならない。
心意六合拳という、プリミティブな非対称性を宿した拳を台無しにする所業だ。
まあ、心意六合拳に限った話ではないが。
伝承された套路には必ず意味がある。
「左側しかない」「右側しかない」のであれば、そこには重大な意味がある。
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「型」はどこまで変えてよいのか?
人間とは、工夫する性の生き物だ。
型・套路を伝承してきた先人も、それぞれの代で工夫をするだろう。
しかし、伝承された型を改変するのなら、その伝承の意味を十全に捉え、なおかつ伝承を上回る意義を見出せている場合にのみ許される。
または、先人の伝承が途中で良くない改変をされ、本来あるべき姿はこうではないのか、と再発見した場合には、「復刻」が認められるだろう。
私もいくつか「本当はこうではないのか?」と気づき、「復刻」しているケースもある。
しかし、「右があるなら、左もあるだろう」という安易な考えで型・套路を改変するのは、絶対NGだ。
特に鏡面動作をやるということは、左がなぜ左なのか、右がなぜ右なのかを、指導者が理解していないということに他ならない。
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「左とは何か」
「右とは何か」
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