査拳のわかりやすさは、今や貴重?

査拳を徹底見直し中。
その作業はいわば、古い蔵を片付けるかの如くだ。
「あー、あったあった!」
なんてことが多々ある。

査拳はやはりいい。
わかりやすい。ひねたところがない。
清新な気持ちで稽古できる。

査拳は明代の成立と考えられ、現存する中国北派武術の中では古い部類に入る。
おそらく、戦いというものが実生活のすぐそばにあった時代だろう。

特に「倭寇」の影響は大きい。
山東省という沿岸部で、査拳をはじめとする幾多の流派が盛んになったのは、倭寇の存在と無関係ではないと思う。

何はともあれ、戦わなくてはならない。
査拳にはそういうわかりやすさがある。
武器術を多数含んでいるのも、そうした背景故であろうか。

明代から清代に入ると、社会は安定してくるが、一方で「腐敗」も蔓延してくる。
そうした世情と関係するとまでは言い切れないだろうが、中国武術も、テーゼに対するアンチテーゼ、そのアンチテーゼに対するさらなるアンチテーゼ…と積み重なり、複雑化してくる。

王向斎が創始した意拳は、ある意味、こうした中国武術の複雑化の、ひとつの極点と言えるかもしれない。

何しろ、こんな感じでずっと止まっていれば強くなる、ってんだから。
まったくの素人からすれば「???」となって当然だろう。

ただ、私も意拳/韓氏意拳を学んだが故に、査拳に戻ってきたとき、古い蔵の中から多数のお宝を発掘できるのである。
その意味で、王向斎が提示した意拳はやはり至宝と言えるのだが、その真価を感得するのは簡単ではない。
意拳“しか”やったことがないと、逆にその真価がわからないかもしれない。

中国武術の真価にたどり着くためには、おそらく、これらのテーゼとアンチテーゼを何周もしながら掘り下げていくしかないだろう。

その入口としては、やはりわかりやすいほうがいいと思う。
わかりやすく、やれば強くなることが実感しやすい『査拳』。
いかがでしょうか?

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