もし査拳しかやってなかったら、私は査拳をできるようになっていない

逆説的だが、もし私が査拳しかやってなかったら、私は査拳をできるようにはなってなかった。

私が何をどういう順番で学んできたか、ざっと振り返ってみる。
27歳のとき、「何かやらないと」くらいの簡単な思いで、当時の住まいの近所にあった全日本中国武術連盟に通うことにした。

全中連では、査拳の他にも、太極拳、形意拳、八卦掌、金鷹拳、柳生心眼流、大東流などの古流柔術を指導していた。
その中から、なぜ私は査拳を選んだのだろうか。

カンフーっぽいかっこよさに惹かれたということもあろうが、なんとなしに、その時点の自分が内家拳や古流柔術をやっても上達しないような気がしていたように思う。

こういう「なんとなし」の感覚は、結構重要な選択において決定要因になっているような気がする。

その後、全中連から独立して天龍武術会を立ち上げ、孫臏拳の研究を始めた石井敏先生とともに青島に赴き、趙永昌先生から孫臏拳を学ぶ。これが2つ目。

続いて、やはり石井先生とともに上海に赴き、李尊思先生の一門から上海査拳と心意六合拳を学ぶ。
その後も天龍武術会への参加を続ける中で形意拳、八卦掌、太極拳、大東流柔術、柳生心眼流その他多数を学ぶ。

こうして改めて振り返ると、石井先生への信頼があったから、石井先生の提示する多数の流派を学ぼうという気になったのだと思う。

武術を学び始めてから10年少々経った後、私は自分でも高島平カンフークラブ(後の板橋武研)を立ち上げ、地域で教え始めた。
それなりに生徒も集まったが、時間が経つにつれ、行き詰まりを感じ始めた。

何より、自分自身が上達している気がしない。

それなりにそれっぽくはできる。
しかし、「これが武術か?」と自問すると、正直甚だ疑問であった。

この頃、甲野善紀先生のもとに学びに行くようになり、これまで考えたこともなかった身体への眼の向け方を多数学んだ。

そして甲野先生が最も評価していた光岡英稔先生のもとに赴き、韓氏意拳をはじめとする多数の学びをいただいた。
光岡先生から学んだ「身体を観る」技法は私にとって重要な転換となり、これまで学んだすべての武術の見直しの契機となった。

そして巡り巡って、一昨日の板橋区武術太極拳大会にて「まあ、久々にちょっと査拳やってみるか」とこれまた「なんとなしに」思ってやってみたら、

「あれ…査拳、できてるんじゃない?」

と、はじめて思えた。

もし私が、査拳だけをひたすらやっていたとしたら、自分で「査拳ができている」と思えるところには、とても到達できなかっただろう。

もちろんこれは、現代日本に生きる私という人間が査拳を修行した場合の話だ。
当たり前だが、明代に査拳を修行した先人にとっては査拳しかなかったのだから、査拳だけ一生懸命修行しても査拳はできないとか言われたら意味不明だろう。

これは、先人との環境の違いである。
先人にとって武術修行は現代よりもずっと日常に近く、そして学ぶ切実度が現代とはまったく違う。

これまで何度も紹介しているが、銭育才『太極拳理論の要諦』にて記されている「甄三のエピソード」。

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シャベルで土の山を移すという修行を師に言い渡され、ひたすらそれをやり続けた、というもの。
これが昔日の武術修行であるが、今日、こんなやり方を続けられる人はほとんどいない。
まずもって、私はできない😅

物理的にやろうとすればできることはできるだろうが、これをやり続けることが本質的に重要だと確信したり、あるいは確信に至らなくても師の命として絶対遵守するといった、そういうメンタリティを持ってないのである。

現代でも、それができる人もいるだろう。
そういう人は心から尊敬する。
残念ながら「悲しき現代人」の典型である私にはとてもできないし、おそらくは多くの現代人が同じであろうと思う。

「身体に向ける眼」をいかにして養うか。

10年間、スコップで土の山を掘り返し続けるというのも手ではある。
しかし恐ろしいことに、「悲しき現代人」は、これと同じことをやっても「身体」に気づかない可能性が少なくないのだ。
少なくとも私は、甲野先生や光岡先生に学ぶまでわからなかった。

「身体」に気づかないまま高負荷の練習を続け、体を壊してしまうというのも「悲しき現代人」にはよくあるケースである。

ハードな練習を続けることで、危機感を感じた身体が覚醒し、いやでも身体に眼を向けることになる(井上尚弥はこれだと私は思っている)可能性があるが、覚醒しないまま体が潰れてしまう人も少なくない。
より多くの人(特に現代人)にとっての処方箋は、初めから「身体に眼を向けよ」と教えるものでなくてはならないだろう。

今の私なら、25年間かけて多くのものをぐるっと一周してきた査拳をお伝えできます。
ご興味が湧いた方は、ぜひ武研門の「古武術パーソナルトレーニング」からご連絡ください😊

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