本日は古武術パーソナルトレーニング。
稽古開始前に、ちょっとデモンストレーション撮影にご協力いただいた。
両腕をしっかり抑えられると、体の力をどう使っても斬ることができない。
しかし「刀に従う」ことによって「止められない一文字斬り」が可能になる。
「自分に合わせてやってもらえるので、ありがたいです」
「古武術でパーソナルトレーニングって、なかなかないですよね…」
そうなんです😊
私が最初に習った道場は全日本中国拳法連盟だが、創立者である故・佐藤金兵衛先生に直接習ったことはない。
ただ、金兵衛先生に習った方々からいろいろな話は聞いている。
聞くところによると、金兵衛先生は、ある生徒に間違っている点を一度指摘し、次に見たときにそこが直ってないと、もうその生徒を相手にしなくなってしまう、とのこと。
これは厳しい。
まさに昔ながらの武術指導者だ。
昔は「動作は一回しか見せない」という師範が普通だった。
あるいは、そういう厳しさの中で自力で掴み取れ、というメッセージでもあろう。
わかる。
そういうやり方が必要なのはとてもわかる。
でもね。
それでは、もう無理なのだ。
これはいろんな意味で無理なのだが、まず「根性のあるなし」という話ではない。
どれだけ根性があっても、できない人はできない。
身体への眼の向け方が、最初からわかってないからだ。
わずかな食い違いが、とてつもない誤りに発展する
これは今日紹介した言葉だが、王宗岳『太極拳論』の一節だ。
「差之毫釐、謬之千里」
「ごくわずかな食い違いが、千里もの誤りに発展する」
という意味だ。
最初の一歩を、正しい方向からごくわずかな角度、誤った方向に踏み出してしまったとする。
そうすると、先に進めば進むほど「正しい方向に進んだ場合の地点」とはどんどんズレていき、しまいには千里(4,000km)ものズレになってしまう、ということだ。
「努力は裏切らない」なんて言うが、いえいえ、努力は裏切る。
いや、”悪魔的な意味で”努力は裏切らない、とも言える。
「間違った方向に努力したら、間違った方向に向かって努力が積み重ねられ、間違った結果にたどり着く」
という意味では、確かに努力は裏切らないのだ。
今の時代、「最初の一歩」を「正しい方向」に歩み出すには、もはや宝くじレベルの幸運がないと無理だ。
昔の人の身体観を、生まれながら体得しているか、一家相伝で学ぶか、たまたま自力で発見するか。
いずれも、極めて低確率だろう。
「優れた師につく」
というのはよい方法だ。
これなら宝くじよりは確率が高かろう。
ところが、その師が「一回で覚えないヤツは相手にしない」という指導方針だったとしたら…。
ついてこれる人は、ついてこれるだろう。
しかしこれでは、わからない人は、いつまで経ってもわからないままだ。
そんな、産卵に帰ってくるシャケのような育成方法でいいのだろうか?
みんな、もっと可能性を持っているのでは?
だから私は「古武術パーソナルトレーニング」というものを始めた。
悩んでいるあなた。
武研門は、とことんあなたに付き合います。
「古武術パーソナルトレーニング」をぜひご利用ください😊