(本記事は、2020年4月27日にnoteで公開した記事を再編集し再掲したものです)
入門初日の稽古「馬歩」について、改めて考える。
『拳児』では、姿勢や套路が非常に正確に描かれていると思う。
しかし、それでも「見ただけ」ではわからない。
師の形を見て、師がやった通りにしようと思っても、その通りにならない。
「見た目だけのチェック」では「核」にたどり着かない。
自らの「内的経験」というものが存在することをまず知らねならない。
正しい身体を得られたとき、どのような経験を得られたかに注目しなければならない。
その経験を知った上で、その経験を『再現しようとしてはならない』。
それはもう、経験としては異なるものになっている。
いくつかのチェックポイントはある。
馬歩をやる際『固めてはならない』。
膝や腿で踏ん張っているなら、間違っている。
鼠蹊部が伸びやかに膨張し、血流が活発に巡っている。
膝は緩んでいて、いつでも動く。
最近甲野善紀先生がおっしゃる「膝ガクガク」の状態。
「馬歩站椿」を「固めて我慢する稽古」と思っていると、完全に間違った方向に進んでしまう。
間違った馬歩站椿をやるくらいなら、「馬歩冲拳」のほうをお勧めしたい。
身体を動かしている分、固めていたら手打ちにしかならないことがわかりやすい。
正しく打てているか?
それすらも「何が正しい経験か?」をきちんと師に指導されないと、大誤解をしたまま迷走しかねない。
武術もネットや動画を活用しなければならない時代だ。
私も可能な範囲で活用したいと思っている。
しかし、「正しい馬歩」を対面することなしに指導するのは不可能だ。
見た目だけを合わせても、何にもならないからである。
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