強くなりたい。だが、強さとは何か?ーー『術と道』書評(1)

あなたはなぜ、武術をやっているのか?
あなたはなぜ、武道をやっているのか?
あなたはなぜ、格闘技をやっているのか?

以前も記事にしましたが。

既に実践している人は、改めてこう問われると意外と困るかもしれない。

「えっ、なぜと言われても…。ていうか普通やるでしょ?」

みたいな感覚かもしれない。
(私の最初の師匠である石井敏先生は、「自分が武術をやる理由は、もはやない。ないのにやっている」とおっしゃっておられた)

異能の武術家・光岡英稔先生。
日本ブラジリアン柔術界のレジェンド・中井祐樹先生。
稀代の実践者お二人による対談本『術と道』がこの度刊行された。

術と道 身体で知る武の思想 [ 光岡 英稔 ]

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このお二人両方に師事した私としては大変楽しみにしていた本だが、一方で、果たしてこのお二人は噛み合うのか…という、余計な心配もしていた。
何しろお二人とも、独自の世界観を持ち、なおかつ語り出したら止まらない。
もしかしたら、まるで噛み合わないまま話が進んでいくのでは…などという心配。

この心配は、ある意味では外れてはいなかったが、逆によい方向に作用したのではないか。

お二人が向いている方向は、ある意味真逆である。
真逆だからこそいいこともある。
さながら「真逆を向きながら背中合わせで戦うバディ」のようなお二人であった。

「そんなもん、冗談じゃない」

さて、最初の問いに戻る。
なぜ、やるのか。

「強くなりたいから」
というのがシンプルな答えではある。

だが、強さとは何か。

試合に勝てば強いのか。
相手を殺せれば強いのか。

生まれ持った身体能力の差はどうなるか。
生来身体能力が高い者に、弱い者が対抗するのは厳しい。
そこが覆らないのであれば、そもそも武術・武道・格闘技を学ぶ理由はない。
それは絶対的なカーストとして受け入れればよい。
弱い者は強い者にただ頭を垂れていればよい。

「そんなもん、冗談じゃない」

という想い。
そこが、武術・武道・格闘技を学ぶ原点であろう。
(中井祐樹先生が道場でおっしゃった「力だけで勝負していると、必ず自分より力が強い者が現れる。そのときどうするかだ」という台詞は、強く印象に残っている)

『術と道』にも「弱い人間が勝つためには」という一項があり、光岡先生と中井先生がそれぞれ「強さと弱さ」について見解を述べている。

光岡 (中略)武術は弱い人間が、その弱さを見つめていくなかで、それを克していきながら、強い人と同等に並ぶぐらいに持っていく。たとえばそんなに剣が上手じゃないとしても、それをひたすら練習することによって、強い人や才能ある人を抜けないかもしれないけどなんとか互角の勝負にもっていける。それが本来の武術の発想だと思うんです。
 明治期からの流れですが戦後は武道の競技化、スポーツ化がさらに教しくなるし、格闘技もいろいろな展開をしました。ただ、そこで武道が競技になっていく過程で失われるものに武道界、武術界は気づいてこなかった。先天的な身体能力、運動能力の差で強い人が勝つのは基本的に競技です。そうなるのは、まあしょうがないんですけど。

中井 武術は弱い人間だからやるという話がありましたから、その弱さについて触れておきたいんですが、弱者という言い方はきついかもしれない。だけど、やっぱり身体的に優れていないとか、力で押し負けてしまうとか、崩されてしまうとか、競技をやっているアスリートにはかなわないと思うんです。それはそうですよね。
だけどそういう弱い人でも勝つにはどうしたらいいのかとなったとき、たとえばブラジリアン柔術を身につければ、「下になっても大丈夫。後ろを取られても、そこから回復していずれは何時間かかるかわからないけど勝つ」みたいなことができる。それが柔術だと思っているんです。
 今は競技柔術のことばかり考えている人が九割だから、この話はあまり柔術家には響かないんですけど。とにかく僕はそう思ってやってきて、弱いところから次第にいろいろなことができるようになって、最後は頂点の強い方に行けるはずだと思っています。いわば三角形の一番底辺をブラジリアン柔術で広げることによって強くなっていけるはずというのが僕の二十代の若々しい発想だったんです。それが今では「柔術じゃなくてもいいんじゃないか」と言うわけです。
 サンボだろうが柔道だろうがレスリングだろうが。なぜか今システマのシャツを着てますけど(笑)。システマだろうがいいじゃないか。僕の経験として、武術をやっていた人と柔術のスパーリングをすると変なところが重かったりして、引っかからなかったりする時があるんですよ。なんだか重いんですよね。普通の相手なら返せるところが妙に返りにくいとかがあったり、それはやっぱり何かを修練していれば何かになっているんだと。そういうことになると思うんです。「何か」ばかり言って、曖昧で申し訳ないですけど。

この中井先生が最後におっしゃっている「何か」というところ。
これが本当は「武術を稽古してきた者ならではの強み」であり、「武術を稽古する理由」である。

「目に見えない何か」が強くなっているのだ。

これがわかっていて、この「目に見えない何か」を養う稽古を続けていけば、弱者も強者に対抗できる可能性が出てくる。

「目に見えない力」がわからない現代武術界

私も現在ブラジリアン柔術に取り組んでいて、試合にも出たりしているが、まあなかなかに苦笑いしか出ないような状態である。

ただ、どういうわけか、相手が「強いですね…」などと言うのだ。

えっ、どのへんでそう思いました?
勝ったのそっちだし、自分としてはいいところなしなんですが…。

こういうことは道場でも言われる。
たいしてうまくできているわけでもないのに、「フィジカルが強い」「体幹が強い」「すごいパワーだ」「驚異的な粘り」などなど。
いや、フィジカルとかパワーなんかは全然ありませんが…。

このあたりだ。
古武術はこういう、目に見えない、自分自身でも感得できない力を養っているのである。

問題は、当の武術家が、このことをわかってない点にある。

何しろ、目に見えない・感得できない力であるため、当の武術家がそれに気づけなくなってしまった。
故に、古武術を現代的に解釈してしまい、目に見える部分しか扱えなくなってしまった。
または、この目に見えない・感得できない力を、現代的な幻想の産物に置き換えてしまった。
そうなってしまうと、日々試合での勝利をめざして鍛錬している格闘家に勝てる要素はなくなってしまう。

光岡 武術界ならびに武道界の現状は、正直いうと支離滅裂で玉石混交がひどすぎる状態ではあります。

『術と道』は広大な範囲をカバーしているため、書評も切り口を変えて何回かに分けて記したい。
次回は、この「支離滅裂で玉石混交」な武術界を如何せん、という話をしてみたい。

『術と道』に書かれている内容は広範で、何回かの書評でも語り尽くせるものではない。
少しでも気になった方には、ぜひともご購入をお勧めする。

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